反省させると犯罪者になります/岡本茂樹 これは子育てのバイブルだと思う。

ある日、校長が目をキラキラさせながら「すんごい本を見つけた!」と教えてくれた本。お互い出張が多いから、たまにどんな本を読んでいるか話し合う。タイトルからしてとても興味を惹かれる。というか、この一行に「そう!そのとおり!」という共感を覚えた。

けど、放置してた、笑。いつか読もうと思ってはいたんだけど。2014年3月21日(金)に千葉県柏市で開催された「非行」を考える全国交流集会で基調講演をされた野田詠氏さんが期せずしてこの本を紹介してた。本当に短い紹介だったけど「この本、みなさん、絶対読んだ方がいいです」って。野田さんが言うからには間違いない!そう思って、Amazonでポチリ。



もうね、これは教育現場にいて、諸手を上げて大賛成!と叫びたくなる内容でした。著者の岡本さんは、殺人等の重大犯罪を起こした受刑者が収容されている刑務所で受刑者に個人面接をしたり構成のためのプログラムをつくって授業をしたりしている方。その方が、ご自身の研究と経験から、こんな書出しで本書をスタートするわけです。
悪いことをした人を反省させると犯罪者になります。
そんなバカなことがあるか。悪いことをしたら反省させるのが当たり前じゃないか、と思われるでしょう。それは、疑う余地もない世間の「一般常識」なのですから。
しかし繰り返しますが、悪いことをした人を反省させると、その人はやがて犯罪者になります。自分自身が悪いことをして反省しても、同じ結果です。つまり犯罪者になります。
きっと、僕も北星余市で教員をしていなかったら、「当たり前じゃないか」といっていた人間だったと思います。が、15年間、北星余市で自分も含め多くの先生たちが子供たちを向き合っている様子、そして子供たちの変化を振り返った時、そして自分自身の人生を振り返った時、「おっしゃるとおりです」とうなづくどころか、岡本さんの尻馬に乗って「そうそう、うちでもね!」と語りたくなるくらいのことが沢山書かれています。

野田さんが「絶対読んだ方がいい」といってたのも、きっと、同じ気持ちなんだと思います。

この本は、非行少年や犯罪者にだけ当てはまることではなくて、我々、全ての人間に当てはまることです。犯罪や非行とは無縁に生きている方も他人ごとではなく、自分の身に置き換えて読んでみることを本当にお勧めします。特に、子育て中の親御さん、学校の先生たちには、ぜひ読んでほしいです。そして、苦しむ人が一人でも少なくなってくれることを願います。

しつこいですが「うちは子育ては順調だから大丈夫」とか思っている人も、ぜひ読んでほしいです。

不登校の子供や非行少年をかかえる親御さんたちの経験談を聞くと、「信じられなかった。なぜ、うちの子が!」という思いを抱く方が非常に多い。子育ては順調だと思っていたし、自分は適切な子育てをして来ていると思っている矢先の出来事なわけです。不登校や非行を自分の子供が経験することは、どの親御さんも望んでいたことではなく、ある日、あるとき、突然舞い降りてくる。それは日々の積み重ねだったりします。

この本に書かれている、岡本さんが否定的に語っていることを繰り返しているうちに、またはあるポイントでしてしまったが故に、子供たちがそういう行動をとることになってしまったんだな…と思わされるケースは、やまほどあります。

不登校や非行を起こす子供たちを観ていると、本当に様々な要因が絡んでいることがわかります。だから、この「反省させること」が全ての原因でないとは思います。けれど、この本に書かれている視点にたって人(=子供)と接することで、僕は大きな違いがあると思いました。

北星余市に入学したての1年生は「自分を変えたい」「やりなおしたい」そういう気持ちを持って入学してきます。しかし、それまで十数年間培って来た考え方やそれに伴った行動、つまり生き方が変わっているわけではないので、当然、抱えている問題性が発露され、それが問題行動となって表出してきます。それは、長くて2年生の終わりまで続くことがあります。ちなみに、3年生くらいになってくると、つい1年前2年前まで問題をおこし反抗していた子供が、問題を起こした1年生をみて「あいつ、あかんわ」と教師と同じ目線にたって後輩に語ってくれるようになる子も多くいます。

入学した子供たちが問題を起こしたとき、どう捉え、どう対処していくかで、子供たちのその後が変わります。

「自分を変えたいと言って、自分の意志で入学してきたのに、問題を起こすとは何事だ!」というのが一般的な捉え方だと思います。けれど、上記の通り、生き方が変わるわけではないので、同じパターンになることは当然と言えば当然なわけです。このときに、そんな責め方をしたって意味がない。

とかく「反省しなさい」と詰め寄りたくなる我々です。我々大人が使う「反省」という言葉のさすところは、「悪いと思いなさい」「悪いと思ったら謝りなさい」ということですが、だいたい高校生にもなったら自分が悪いと思っていることはしないものです。高校生にもなったら…というか、小さい子供だってそう。悪いと思っていないからするわけです。世間的には「悪いこと」とされていることを承知の上で。

そんな人間に「悪いと思いなさい、そして謝りなさい」と言うことの意味ですよね。その場をやり過ごすため、取り繕うようにやるでしょう。当然ですよ。我々、大人だってそうです。この本に、その手の事例がたくさん書かれているわけですが、スピード違反で捕まったときだって、仕事で失敗した原因が自分のせいじゃないときに上司に「すみません」と謝るときだって「悪いと思っていないことを表面的に謝る」ことはあちこちである。けど、それは決して根本的な解決にはならないし、そうならないために(怒られないため、捕まらないため)どううまくすり抜けるかを考えるだけにしかならない場合が多い。

この本を読んで、改善の余地があるなぁ、、、と思いつつも、それでも北星余市でのやり方で生徒たちが変化し、成長するのは、「なぜ?」と本人に問うこと、そして子供とその問題に一緒になって考えることがあるからなのだなと感じたわけです。

もちろん、うまくいかないケースもあります。同じ質の問題を繰り返す場合がある。

この繰り返しには、つい、それまでの価値観や考え方につい頼ってしまってやってしまい、「なんで、俺はこうなんだ?」「ああ、またやっちまった…」という自戒する場合のものと、上辺だけの反省でやりすごしたものとで分かれるし、そのときの生徒の反応はまったく違います。

前者の場合、子供たちは往々にして変わるし、大きく成長していくのですが、後者はそうはいかない。裏で「あっかんべー」をしているわけです。そういうときふと冷静になって、問題を起こした生徒と指導する教師とその関係性の間に横たわっているやりとりを観たときに、「正解探し」が始まっている場合がある。子供は必死にどういう応えを教師に返せば、「許される」のかを考えているだけのことがあるわけです。「あのとき、あんなに指導したのに!」と思わされますが、「正解探し」は「許される道探し」でしかなくて、その事柄の本質に向き合っていないので当然と言えば当然の結果といえます。本当に必要なことは、正解を探すことではなく、自分の内面を探すことなんだと、改めて考えさせられた本でした。

この手段が全てというわけではないですが、「反省しなさい」と迫ることだけの悪い影響と、そうじゃないやり方の一つの有効な(しかも、かなりの)手段として。



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北星学園余市高等学校で教員をしています。
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